2015年8月4日火曜日

「文章表現 四〇〇字からのレッスン」梅田卓夫 (ちくま学芸文庫)



 まず第一章で、本書の説明があります。
 特定のジャンルの書き方を指南するのではなく、また文章作成の一般ルールの習得を目指すものでもない。すべての文章表現に共通する創造的表現の基本事項と、それに向き合う時に直面する課題を乗り越える手順、及びその達成感を会得することに重点を置く。
 何だか難しそうな話ですね。
 とりあえずこの章で目に留まったところは、「言葉によって記述される世界は、現実世界そのものではない。言葉はその性質上、事実のすべてを記述することはできない。文章は書き手の視点による、世界についての解釈、言い換えれば世界の再構築であり、新たな世界の創造である」というような著者の論です。激しく同意です。
 以下の章では、レッスンを通して具体的な方法を伝授していく、という流れになります。途中で「メモ論」「断片論」といった抽象的な著者の論が、哲学的で嫌いではありません。特に「人間が認識できるのは『世界』あるいは『事象』の一側面=断片だけである。全体像は概念としてのみ存在し、実際の全体像は認識(知覚)できない。そして概念は、目の前にある実物と異なる」といったところは、いいですね。


 とはいえ、手離しで著者の論に同意するわけではありません。ところどころ綻びがあり、難癖を付けようと思えば、いくらでもできそうですから。
 たとえば著者は文章と人格は別物だと言います。私も概ね同意します。ですが、文章が書き手そのもの(総体)ではないとしても、書き手の断片だとすれば、それは総体を構成する断片、すなわち書き手という人間の一側面ということになります。
 そもそも事物や事象を「全体」として捉えることはできない、と著者は述べています。「部分(=断片)」としてしか捉えられないとも述べています。
 であれば、文章という断片から総体としての書き手の人物像を、概念として捉える行為=文章と人格を一致させる行為はまったくの的外れではない、ということになりえます。
 なぜなら文章は思考の断片や五感の言語化、すなわち「個人」の表現であり、たとえそれがその人の断片(=一側面)であったとしても、個人と完全に切り離されたものではありえません。皮肉なことに、創造的な文章であればあるほどに。
 このような感じで反論は可能かなぁと思いますけども、著者の言わんとするところには概ね同意できる次第です。

読書期間:始)2015.2.20 ~ 終)2.25
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