2015年8月17日月曜日

「図書館革命」有川浩 (角川文庫)



 短いやり取りだった。それでも灰原にしては少し話し過ぎたのか、彼は喉に渇きを覚えた。
 本来、灰原は人と話すことが苦手だ。口下手というよりも、人と言葉を交わすことに慣れていない。今回は話し相手が心の友、はるのっちだったからこそ、ここまで語れたと言っていい。
 ベッドスペースを除くと実質四畳半となる、マンションの一室が彼の住処だ。一人でも窮屈に感じる部屋である。そこに二人もいる。当然、その二人の体温だけでも、室内の温度は上がりに上がる。加えてこの夏の暑さだ。灰原にとってはダブルパンチどころではない。不慣れな会話による照れ臭さも相俟ってトリプルパンチだった。

2015年8月15日土曜日

「図書館危機」有川浩 (角川文庫)



「これを見るがいい!」
 徒花スクモの手になる、ポップで可愛らしいイラストが描かれた表紙を灰原は指差した。そこにはミリタリー系の服を着た女性が通信機を口元にあて、何かを声高に叫んでいるような姿が描かれている。
「ただのラブコメものであれば、このようなイラストが必要であろうか。否、断じて必要ではないはずだ。確かにラブコメ要素は強いと言わねばなるまい。前巻では笠原郁言うところの王子様が実は堂上であった、などという筋書きは、読み手にしたら『何を今さら。そのくらいの展開は読めておるわ』と言いたいところであるのは、共感して止まぬ。だがそこだけを指摘して、底の浅い物語だと断じることができようか。いや、できまい!」
 にやにやした笑いを顔に浮かべて、はるのっちは灰原の演説に聞き入っている。灰原はそんなはるのっちを意にも介さず、滔々と語り続けた。
「笠原郁が戦うのは、何もメディア良化委員会やその実行部隊である良化特務機関、良化法賛同団体だけではない。一つのコミュニティに発生する人々の軋轢や小競り合い、さらには親が子供に懸けてくる勝手な理想や期待とも戦うのだ」


 はるのっちはここで小さく手を挙げ、先生に対する生徒のように抗議の声を上げた。
「親の理想や期待と戦うのに、通信機や戦闘服は必要ないと思うんですけど」
「うるさい。黙れ、オカマ野郎。あれは強調表現だ。戦うということを、あの姿で象徴しているにすぎんのだ」
 灰原は間髪入れずにその抗議を切って捨て、話し続けた。
「生じてしまった親子の確執が、そう簡単に和解に至るのかと言えば、そんなことはあり得ない。そのくらいは俺だって自身の経験から知っている。それが現実だ。だがその現実は望まれるべき現実なのか? 本音はどうなのだ。できることなら和解して、親に自分を生んで育ててくれたことを感謝したい気持ちがあるのではないのか。この物語はその願望を、夢物語とはいえ疑似体験として叶えてくれているのだ。それの一体何が悪いというのか」
「でもさぁ……」
 どうしても納得できないという様子で、口を尖らせてはるのっちは言った。
「堂上が電話口で郁とやり取りする場面でさ、『ポン』っていう頭を軽く叩くような擬音を口に出すのは、ちょっとやりすぎじゃない? あそこ読んだ時は『ないわーwww』ってなったもん」
「うん。まぁ、あそこは俺もそう思った。大体それまでのキャラとして、堂上はそんなことをするキャラじゃなかったからな。男視点としては、臭い。臭すぎる。そんな男いねーよ、という印象が残ったな」
 戦い云々について話していた灰原であったが、さすがにこの場面はないと思っていたのか、ラブコメ要素の箇所だというのに、ついはるのっちの意見に同意を示してしまった。(続く)

読書期間:始)2015.4.20 ~ 終)4.22

「図書館内乱」有川浩 (角川文庫)



 わずか八日間で有川浩の「図書館戦争シリーズ」を読了してしまい、灰原士紋は困惑していた。己の遅読ぶりを誰よりも知っているだけに、その驚きは並々ならぬものだ。だがそれ以上に、読後の余韻が心地よく思われた。
 そこへ心の友、はるのっちが口を差し挟んできた。
「意外とラブコメとか好きだったんだねぇ」
 うるさい。黙れ、このオカマ野郎。いつもの灰原なら、そう言い返してやるところだったろう。だが、今回は言い返せなかった。
 というのも、自分が本当はラブラブなストーリーも大好きな人間だというのに、自分でも知らないうちにそのことをひた隠し、己は硬派であると自分に言い聞かせ、己を欺いてきただけにすぎない、ということに気付いてしまったのだ。
 しかし灰原も揶揄されてそのまま黙っている口ではない。読み終えて机の上に積んでいた単行本を掲げ、ラブコメだけの話ではないことを主張した。
「確かに全体的には、テレビのゴールデンタイムに放送されるようなドラマ仕立てのお話ばっかりさ。ご都合主義もいいところだと糾弾されかねんところはある。でも押さえるべきポイントだって、俺はちゃんと押さえてある!」
 そう言って灰原は該当ページを開き、はるのっちに見せた。


「ここだ。〈『子供だまし』って! 『子供だまし』ってバッカじゃないの! あったりまえじゃないのよ、子供のために書かれた本だっつの! 横から大人がしゃしゃり出て『大人の鑑賞には耐えない』とかさぁ、オモチャ屋で戦隊ロボ捕まえて『これは大人の嗜好に耐えない』とか言ってるのとおんなじくらいバカだって気付け! じゃあ買え、ASUMOでも何でも存分に!〉」
 灰原は声を出して、その部分を読み上げた。その直後、恥ずかしさで耳まで顔を赤くした。
「ほほぉ。なるほど。確かにこういうバカな人って、実際にいるもんねぇ。そういう人種に言って聞かせてやりたいよね、私なんかじゃなくってさ」
 そう言ってはるのっちは目を細めながら、本当におかしそうに笑う。今にもwww(うぇっうえっうぇっ)とでも声を出しそうだ。
 くそっ! くそっ! とはらわたの煮える思いで、灰原は次巻の「図書館危機」を、はるのっちに見せるように持ち上げた。(続く)
読書期間:始)2015.4.18 ~ 終)4.20

2015年8月11日火曜日

「精霊の守り人」上橋菜穂子 (新潮文庫)



 本屋大賞を受賞した著者の代表作の一つ、「守り人」シリーズの第一弾です。
 どうして本屋大賞を獲った「鹿の王」から先に読まないのか。それは私が天邪鬼だからであり、賞を獲る前にはどんな傾向の作品を書いていたのか、ということに興味があったからです。
 確かに今までは賞を獲った作品を優先的に読んでいました。でも、その著者の書く物語の傾向が、まず自分に合うかどうかの方が大事だなと気付いたんですね。楽しめるかどうかは、そこに掛かっている。いくらすごい賞を獲った作品でも、合わなければ間違いなく楽しめない。こんな当たり前のことに気付くまでに随分と時間が掛かってしまったものです。
 さて本作についてです。私には馴染みのない児童文学と呼ばれるジャンルの作品で、異世界ファンタジーのお話です。ただ、児童向けの話だというのに、主人公が三十代の女性とは此れ如何に。


 私としては微妙に感情移入しづらかったですね。少年少女たちが読んで、果たして感情移入できるのでしょうか。
 話の筋は子供でも追えるシンプルなものです。ただ漢字や言葉が児童向けとは言い難いです。大人でも、読んでいる途中で辞書を引くかもしれません。

 共感できたところと言いますか、この物語の言いたかったことは、これなんだろうなってところを抜粋しておきます。
「なぜ、と問うてもわからない何かが突然、自分を取り巻く世界を変えてしまう。それでもその変わってしまった世界の中で、もがきながら、必死に生きていくしかないのだ。誰しもが、自分らしいもがき方で生き抜いていく。まったく後悔のない生き方など、きっとありはしないのだ」
 現実に置き換えて考えてみると、例えば学生だった人間が就職して社会人になった時、あるいは中学から高校に進学した時なども、自分を取り巻く世界が変わってしまいますね。誰しも子供のままではいられない。いずれは自力で五里霧中、暗中模索ででも道を切り拓いていかねばなりません。たとえどんなに無様であっても、です。
 辛い、苦しいと思う時もあるでしょう。もっと華麗に生きたいものだと、己の境遇を呪うかもしれません。だけどそうした姿もまた受け入れるべき自分の生き様であり、その中であがく、もがく姿こそ生きるということなのだと私は思っています。

読書期間:始)2015.4.16 ~ 終)4.17

「ぬしさまへ」畠中恵 (新潮文庫)



 しばらくお堅い本が続いたので、そろそろ難しく考えずに済む本を読もうと思って選んだのが、この一冊です。「しゃばけ」シリーズの第二作目にあたります。
 前回の「しゃばけ」は長編でしたけども、こちらは一話五十頁前後の短編集になります。長編の時と違って中だるみも少なくて、気軽に読めました。
 あくまでファンタジー小説で、ミステリーや探偵小説ではありません。そういう意味で「空のビードロ」と「仁吉の思い人」の二篇の読後感は、好印象を残してくれました。
 もしもミステリーや推理小説の類だと考えて読むと、六話目「虹を見し事」あたりは、ちょっとイラッと来ること請け合いです。


 巻末の解説では「一言で説明するならば、『お江戸日本橋』の大店、長崎屋の若旦那一太郎が、彼を見守る妖怪たちの力を借りつつ、江戸を騒がす難(怪)事件を解き明かしていく」物語なのだそうですけども、この解説には頭を傾げるばかりです。
 なぜなら実際にはほとんどの場合、江戸を騒がす事件というよりも、むしろ若旦那個人の周辺で起こる事件だけを解き明かす物語なのですから。
 とはいえ、難しく考えることなく読める、毒気のない小説であることには変わりありません。時にはこういう邪気のない物語を読んで、魂の浄化をしておくのも悪くないと思いました。
 
読書期間:始)2015.4.9 ~ 終)4.15

2015年8月10日月曜日

「佐高信の筆刀両断」佐高信 (現代教養文庫)



 企業、官僚、政治家、経営者、会社員たちへの批評が主となる内容の一冊です。批評というよりも批判という方が正しいかもしれません。
 かなり辛辣ですけども、的を射てるなぁと思うところがしばしばありました。さすがにその全てをここに書き出すような無粋な真似はしませんけどもね。
 ただ残念な点は、具体的な内容や事柄を省略して意見を述べる、というスタイルでしょうか。その具体的な内容や事柄を知らない人に対しては説得力に欠け、「ソースを出せよ」と言われてしまう恐れがありそうです。元々が雑誌掲載のエッセイだったという制約も、その原因かもしれませんね。
 そのスタイルを踏襲する形になりますけども、私も本文の具体的な箇所を端折りつつ、強く共感してメモしておいた部分だけを、ここに書き出しておきます。

歴史は「一将功成って万骨枯る」の一将といった、一人や二人の英雄によってうごかされるものではない。
残酷なのはテレビではない。現実なのである。
悪い女は強い女。怠惰で愚鈍では「悪」は行えない。
下半身の問題を論じるのは品がない、という発言こそ女性蔑視の表れ。
一民族国家では他民族への理解が行き届かず、自民族の伝統や制度を他民族に押し付けがちになる。
「いずれの方面も良くない。米軍をピシャリと叩くことはできないのか」(S19.8.5. 大日本帝国軍 最高責任者の発言)
連帯保証人でも何でも、判子を押したら、その人は責任から免れない。なのに最高責任者が多くの人間を戦場に送り、彼らに戦争の罪を犯させたのにも関わらず、その最高責任者に責任はないと論じるのは、彼にはその責任を負う能力がないとしてバカにするのと等しいのではないか。
本書には続編のようなものがあるようです。でも決め付けや思い込みの強い部分もある著者という観もあるので、また読むかは微妙ですね。

読書期間:始)2015.3.14 ~ 終)4.8