2014年8月18日月曜日

「邪魅の雫」京極夏彦 (講談社文庫)



 前回の「陰摩羅鬼の瑕」に続き、探偵榎木津礼次郎が全然活躍しないお話です。まぁ彼には「百器徒然袋」と云う、ちゃんとした活躍の場が他に用意されていますので、別に構わないかもしれませんね。

 今回は主に青木刑事の視点で事件が描かれ、益田の視点で得られた情報が加わるという態です。青木の職業柄、事件は地道に情報を掻き集める形で進行していきます。ややもすると本格推理小説の方向で行くのかと思わせます。事実、トリックの謎解きに関しては本格推理風味です。ただ謎解きの切り口が京極堂ならではなのです。

 「塗仏の宴」で引っ掛かった物語の説得力の力なさは、今回は実際にあった事件を取り扱うことできっちり挽回できているように思われました。実際にあった帝銀事件や七三一部隊のあらましを物語ることで、特殊な毒物の存在が現実味を帯びて語られます。

 事件の黒幕とも云うべき人物の動機が、非常に人間的と言いますか、そんな理由で取り返しのつかないところまで事件を大きくしてしまうものかと、その部分がどうにも現実味に乏しい感じを受けました。動機自体は現実的なのですが、事件の規模と動機とを比較した時に違和感を覚えてしまいます。

 今回は憑き物を落とすと云うより、各関係者がしていた勘違いを解き明かすと云う内容です。物足りなさを感じます。本格推理小説風味なところといい、今までの百鬼夜行シリーズとは毛色の異なる作品だと思います。トリックを解き明かすことと事件を解決することとは別物である、というこれまでの姿勢が崩れてしまっています。

 その原因はやはり本格推理小説風に、トリックに比重を置いた話作りにしてしまったせいかと思います。そしてそのトリックの内容についても今までなら学術的な解明がされていました。ですが、今回はトリックにしろ動機にしろ、そういった部分がありません。


 「邪魅の雫」で目を留めるべき点は、「1」までの冒頭数頁の内容だと思います。
 一個人とは、砂浜や砂漠の砂一粒に過ぎない。そして砂一粒を以って、砂浜や砂漠とは呼ばない。砂浜や砂漠自体にとっては砂一粒など、あっても無くても如何でも構わない。問題は、その際限のない砂粒の「量」なのである。海も水一滴で海とは呼ばない。水一滴は、海を構成する要素ではあるけれども、その一滴で海とは言わない。その「量」こそが問題なのだ。際限のない量の砂粒がある様子を以って、砂浜や砂漠と呼び、際限のない量の水がある様子を以って、海と呼ぶ。世界も同様で、一個人は世界の構成要素の一つではあっても、世界そのものではない。問題はその「量」であり、際限のないその量を以って、世界と呼ぶのだ。だが己を世界そのものだと勘違いしている、砂粒同然の人間の何と多いことか。

 この辺りが一番唸らされる、百鬼夜行シリーズらしい部分でした。
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