2014年7月21日月曜日

「絡新婦の理」京極夏彦 (講談社文庫)



 物語の冒頭で、犯人が女性であるらしいことが判明します。ではその女性とは一体誰なのか? と云う本格推理小説のような筋かと言うと、そうではありません。

 読後感としては、もう一つすっきりしない後味が残ります。糾弾すべき人間を、糾弾せずに終わるラストが待っています。但し、糾弾したとしても、何の罪にも問うことができません。どうしようもない、何も解決しない物語です。ですから、この結末でいいのかもしれません。

 今回扱われるテーマのようなものは、所謂ジェンダーと言われるものについてです。女性らしさや男らしさ、男はこうあるべき、女はこうあるべき、と云った「らしさ」について語られます。

 いわゆる「男らしさ」「女らしさ」という問題は、生物学的な差異のみで論じられるべきものではありません。現代においても、未だに男女の「らしさ」というものは、男性原理に基づいた視点で語られることが多いと思われます。そしてその視点は男性だけでなく、女性側にしても本人すら気付かない内に根付いてしまっている観があります。

 極端な例を挙げると、好きと云う訳ではないけども、好みの外見なのでセックスしてみたい、と云った情欲を男性が口にする分には、世間は比較的寛容な態度であるのに、女性が口にすることは許されず、憚られるような空気があります。何故男ならよくて、女は駄目なのか。そう云った問題を「絡新婦の理」では、歴史的・民俗学的視点を絡めて解き明かしていこうという試みがされます。但し、デリケートな問題で、まだ研究の余地を残す問題でもあるので、紋切り型に全てを断定するような結論には至っていません。


 物語の二つの謎について、私は今でもよくわかっていません。一つは茜の父親が誰なのか、という点です。京極堂もわからなかったと言っていましたが、もしかすると作中のどこかで示唆されていたのかもしれません。もう一つは、黒幕の計画が最終的に何を一番の目的として企てられたものなのか、という点です。物語を味わう上で最も重要な点が分からないのです。もしかすると過去の隠蔽が狙いだったのかとも思いますが、それでは計画の規模が大き過ぎます。己の存在価値とは、そうまでして守るべきものなのか? という疑惑に囚われてしまいます。

 彼女の狙いは作品のテーマ同様、デリケートで議論の余地をまだ多く残し、仮に何らかの結論を出せたとしても、現実問題としてはどうすることもできない、解決できないものだったのかもしれません。

2014年7月16日水曜日

「百器徒然袋 風」京極夏彦 (講談社文庫)



 本作は京極夏彦氏の百鬼夜行シリーズに登場する名脇役、榎木津礼二郎を主人公とした連作小説「百器徒然袋‐雨」の続編となる作品です。

 この主人公、榎木津礼二郎は調査も捜査も推理もしない探偵です。およそ探偵らしいことは何一つせずに、ただ「お前が犯人だ」と結論だけを口にして、なおかつ言い当てます。筋が通らないようなお話ですが、何も彼は出鱈目を口にしている訳ではありません。通常の人には見えないものが彼の目には見えているのです。作中では、それは特殊な体質として説明されるだけです。その説明によると、他人が過去に見た視覚情報が、自分の意思とは無関係に見えてしまう、という体質なのだそうです。

 そんな体質なら、どんな事件も即座に解決してしまいそうなものですが、しかし彼の周囲で起こる事件は、大抵そのような体質だけでは解決できない類いのものばかりなのです。事件を解決に導くのは彼の体質ではなく、むしろその破天荒にして非常識な人間性であると言えます。


 今回の三編では「五徳猫事件」で、榎木津を強く敵視する輩を生み出し、後の「雲外鏡」と「面霊気」の二編にて、決着を付けるという構成になっています。但し、榎木津は無敵です。そういう位置づけにある人物なのです。従って正面から立ち向かって敵う相手はいません。ですから敵は搦め手を使って、榎木津の探偵としての評判や名声を貶めようと企みます。ですが当の榎木津本人が、元来そういうものに執着しない人間なので、その企み自体が見当外れです。結局、困ることになるのは榎木津の周囲の人間だけで、その人達にしてみれば、とばっちりも甚だしいと云う訳です。

 そのとばっちりを受ける人達のため、百鬼夜行シリーズの主人公、中禅寺秋彦が少し助け舟を出します。最終的には本作の主人公榎木津が、いつも通りの力技で解決してしまいます。本作は難しく考えずに、彼の破天荒にして非常識な活躍や振る舞いを楽しめる作品となっています。

2014年7月11日金曜日

「前巷説百物語」京極夏彦 (角川文庫)



 小股潜りの又市が、御行姿をするようになった経緯が描かれる一冊です。

 若き日の又市は大坂で失敗し、江戸へと移ってきました。血気も盛んで威勢もよく、口を開けば矢鱈と悪態を吐く始末です。口八丁手八丁、舌先三寸二枚舌、というところは後の又市と変わりありません。ただ仕事に関しては、矢張り経験不足からの不手際や仕掛けの不細工さが目立ちます。

 話を重ねるにつれ、後に一味となる山猫廻しのおぎんや御燈の小右衛門が登場し、「続巷説」まで決着を持ち越すことになる凶敵、稲荷坂の祇右衛門との最初の対決を迎えます。

 以前「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」で三部作を構成していると指摘しました。今もそう思っています。ですから、この「前巷説」は飽くまで三部作、特に「続巷説」に厚みを持たせるための位置付けと感じています。


 「前巷説」の特徴は、地の文が又市視点、あるいは又市の独白形式で語られる部分が多いことだと思います。三部作における又市は、具体的な考えや思っていることが傍目には分からないという人柄でした。しかし本作では、一人の人間としての又市が浮かび上がってきます。

 義理人情に篤く、弱き者を慈しむ心を持ち、人に害を為す悪党を憎みもする、所謂義賊的な正体に触れることができます。如何に非力で弱くても、相手によっては退いてはいけない、戦わなければいけない時がある。戦うからには勝たなければいけない。勝たなければ意味がない。生きて、勝つこと。自分のためばかりでなく、弱き者、虐げられる者のために。何故なら自身もその弱い、虐げられる立場の人間なのだから。私の目には、そう思って生きている人間として映りました。そして彼の御行姿は、己の力不足で亡くなった者達に詫びる気持ちの表れだったのかと、今更ながら気付きました。

2014年7月6日日曜日

「後巷説百物語」京極夏彦 (角川文庫)



 百物語三部作のエピローグ的位置付けの1冊です。連作の体裁はそのままで、語り手もお馴染みの山岡百介です。これまでと大きく違うのは時代です。語り手の百介が遠い昔を振り返って、自らが見聞きした不思議を、明治の若者達に話して聞かせます。百介が最後に又市の仕掛けに関わってから、実に四十年の歳月が過ぎているのです。

 八十歳になった百介が語る不思議とは、もちろん又市の仕掛け話のことです。但し、若者達は仕掛けについての説明は、一切聞かされません。飽くまで、不思議としか思えない話としてだけ聞かされます。仕掛けの種明かしについては、話の締め括りに百介が独白する形で真相を思い返すか、あるいは又市の忘れ形見である娘、小夜に話して聞かせるだけです。


 「後巷説」で一番注目したいのは「五位の光」かと思います。この一話は後に「風の神」という一話にも繋がること、小夜の正体が仄めかされること、そして京極氏の別シリーズ(百鬼夜行シリーズ)の「狂骨の夢」と「陰摩羅鬼の瑕」にも繋がる話でもあります。又市の仕掛けが時代を超えて、昭和の舞台で起きる事件の遠因になることを思うと、感慨深い気持ちになります。しかし別シリーズのことは、ここでは触れないでおきます。

 大切なのは本作が、「巷説」と「続巷説」を加えた百物語三部作を締め括るエピソード集だということです。加えて、ここに至って初めて、百介自らが体を張って、最初で最後の絡繰り仕事を行うという点にも注目したいと思います。百介はその時にようやく初めて又市と同じ世界に足を踏み入れることができたのです。それまでは垣間見ることはあっても、決して立ち入れない結界だったのです。

 最後の最後に百介は、「惰性の生」と云う死から甦り、己の生を全うすることができたのです。百介の最期の笑みは、そういう満足感・充足感から零れ出たものではないかと、私は思います。

2014年7月1日火曜日

「続巷説百物語」京極夏彦 (角川文庫)



 前作「巷説百物語」同様、山岡百介が語り役となって、主人公又市の活躍が描かれる連作時代小説です。

 戦後間もない昭和を舞台にした百鬼夜行シリーズでは、主人公の中禅寺が事件の謎の部分を妖怪に見立て、相応しい名前を与えた上でその正体を解き明かします。その結果、謎は解体され、憑き物は落ちていくという仕組みです。それに対して又市は、全く逆の手法を使います。狂言芝居を打つことで、謎や不思議をでっち上げ「これ皆、妖怪の仕業也」として、事を八方丸く収めます。

 一話完結と云う点は、前作と同じです。異なる点は、今回は完結しつつ連作として次の話に繋がっていき、最終的には大きな一篇を成すような構成になっていることです。「野鉄砲」では又市の協力者である山岡百介の生い立ちや、又市一味の治平の過去について、「狐者異」では同じく又市一味のおぎんの過去が描かれ、掘り下げられていきます。「船幽霊」では御燈の小右衛門の出自が明かされ、「飛縁魔」では後に登場することになる、女悪党白菊の過去と残忍性が語られます。「死神」では、それまで名前だけしか出て来なかった小右衛門までもが登場し、遂に又市一味たちは総力を挙げて、本来敵うはずのない大悪党達と対峙することになります。

 連作ですので当然一話毎に話の山があり、きっちり盛り上げては落ちがつきます。しかし回を追う毎に伏線が追加され、次の話が大変楽しみになります。最終的には連作小説であるにも関わらず、全く壮大な一篇の物語が、目の前に立ち現れてきます。


 個人的にはこの「続巷説」が、百物語シリーズ中で最高の内容だと思っています。「続巷説」の最後に収められている一話「老人の火」は、「死神」の後日譚として語られます。とは言え、私には対決する二人の老人の心情を汲むことはできませんでした。ただこの話は「後巷説百物語」へと続く布石的な一話です。この一話がないと「後巷説」に繋げにくいのです。

「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」という各々独立した三作品を、三部作という壮大な一篇の物語に仕立て上げると云う、大切な役割を持った挿話と捉えていいかと思います。