2013年4月7日日曜日

「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎 (新潮文庫)



世間一般では、伊坂幸太郎の集大成という評価が高い作品です。
その是非は兎も角、私が思うところは、伊坂作品の中で最も異質と言える作品だということです。
その異質と感じるところについて、自分なりに目に付いた点を述べていきます。

まず名言が見当たりません。
伊坂作品の大きな魅力の一つは、至るところに散りばめられた名言を目にすることです。
これがなければ、矢張り物足りなさを禁じ得ません。

次に、地の文の据わりが悪く感じることです。
というのも、これまでの伊坂作品の多くは主人公視点、すなわち一人称視点で語られていたのです。
ですが今回は、見えざる第三者視点で記述されています。
一人称視点でしか本来なら記述できない、あるいはすべきでない部分が、彼方此方に紛れ込んでいるのです。
これが据わりの悪さの原因かと思います。

表現方法の問題になるので、ここでは深くは掘り下げません。
ただ少しだけ書かせてもらうなら、五感の内、嗅覚・味覚・触覚における第三者視点での記述は、慎重に行う必要があります。
先の三つの感覚情報は、本来、行為者本人にしか知り得ない情報な訳ですから。


最後に、この物語が到達する最適解に納得ができない、と云う私情の問題があります。
国家は国民のためではなく、国家自体の存続のために活動する、と云う点は、確かにあるように思います。
ですが、国家や権力と呼ばれる、個人にとって大きすぎる相手を敵に回した時、一番利口なのは逃げること、と云う点が不満なのです。

理性的に考えれば、確かにそれが一番利口なのでしょう。
ですが生憎と私は、そういう物分りのいい考え方ができないのです。

なお、本作で最も伊坂氏らしさが出ていたと思える箇所は、「痴漢は死ね」と書かれた郵便物を、青柳平一が目にする場面でしょうか。
物語のテーマからは逸れている箇所です。否、むしろだからこそ、でしょうか。
一番「らしさ」が出ているように思われました。


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