2013年3月15日金曜日

「終末のフール」伊坂幸太郎 (集英社文庫)



何だか嫌な、生々しい話です。
本作は小惑星の衝突によって齎される地球滅亡を、三年後に控えた世界を舞台とする、伊坂氏の連作短編小説です。

小惑星の衝突=死として扱われ、緩やかに進行する極限状態に置かれた人々の生き方が描かれます。
死は普段は意識されないだけで、全ての人に、それはいつか訪れます。
作中の人々は、そのことを小惑星の衝突という形で、徐々に迫ってくる死として、具体的に突き付けられます。

ある者は自暴自棄になって、人と争ったり、何かを奪い合ったりします。
しかし他人を襲ったところで、状況は何も改善されません。
そんなことをしても、死からは逃れられないのです。

そのことに気付いた人々は、どう生きるのか? どう生きるべきなのか? そんな感じのことが、この小説では物語られるのです。


本作では「許す」ということが、一つのキーワードになっています。
人を許す話、人を許せない話、自分を許す話、自分を許せない話。
あるいは許す対象がなく、許しを乞う相手も思い浮かばない話。
そのような話が続きます。

登場人物の台詞を幾つか引用します。
「隕石は落ちてくる、生活は楽しい――逆よりはましかもしれない」
「こんなご時世、大事なのは常識とか法律じゃなくて、いかに愉快に生きるかだ」

このあたりから、楽しく、愉快に生きることが重要だという作者の考えが窺えます。

「許す・許さない」も「楽しく、愉快に」も、一人では難しいことです。
物語の中で少女は言います、「一人は嫌だなぁ」と。
一人きりで生きることと死ぬこと、果たしてどちらの方が辛いことなのでしょうか。

とは言え、更に死が身近に迫って来れば、そんな「許す・許さない」だとか「楽しく、愉快に」だとか、言っていられないかもしれません。
他人を殺してでも生き延びようとする。
自分だけでも助かりたいと、醜く生きる。
他人を蹴落としてでも無我夢中で生きる。
そうすることで、少しでも生き延びられるなら、みんなそうするのではないでしょうか。
それが生きるということなのでしょう。

ここで重要なのは、こうしている今も私達は現実に、緩やかに進行する極限状態にある、ということです。
だからこそ本作は、何だか嫌な、生々しい話なのです。
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