2013年2月5日火曜日

「天平の甍」井上靖 (新潮文庫)


あらすじ
第九次遣唐使として、伝戒の師の招聘を目的とする普照、栄叡の二名に加え、
戒融、玄朗、四人の修行僧達は唐土へと渡った。
これは苦難の末、日本に始めて戒律を伝えた鑑真上人に纏わる記録から綴られた、
ある修行僧たちの人間としての姿を描いた歴史小説である。

 高校の時もあんまり感動しなかったのですが、今回もあんまり・・・・・・という感じでした。
 ただ当時はあまり気にならなかった「業行」という登場人物が、妙に印象に残ったというか、鑑真よりも主人公よりもこの物語の無常感を背負った人物に映りました。

 立身出世や学業の成功を夢見て普照たちは唐を訪れますが、そこである者は世界を隈なく見て歩こうと旅立つものもあれば、還俗して中国の女と所帯をものも出てくる始末です。
 辛うじて普照と栄叡の二人は遣唐使としての本来の目的である伝戒の師の招聘に力を注ぎますが、普照にとってその使命は恐らく自らの学が成って初めて着手するべきものと考えていた節が見受けられます。
 ところがこれ以上唐に留まって、勉学に励んだとして大したものにはならないという不安を感じたのか、自らの存在意義を遣唐使の目的である伝戒の師の招聘に見出すようになります。
 彼と対照的なのは栄叡の方で、彼は精力的に始終伝戒の師を探し、渡日を要請する日々を送ります。残念ながら彼は志半ばで命を落とすことになりますが。

 そして普照に未来の自分の姿を想起させ、不安を与えた人物が業行です。業行は30年近く前に唐土に遣唐使としてやって来ていながら、何者にもならなかった。彼も若い時には自らの学を昇華せしめよう、一角の人物になろう、世の真理を究めてみせようと希望に胸を膨らませ、唐土にやって来ていたはずです。
 ですが、普照が出会った時の彼にはもはやそのような野心など一片も見えません。ただひたすら写経を続けるだけ、そしてその写経を日本に持ち帰るということだけを望んでいました。頭など使わず、ただひたすらに肉体的な作業を続け、写経を持ち帰るという肉体的な作業のみが彼にできることのように。
 勿論そのような単純な作業を継続するには並みではない忍耐力、精神力が必要なのですが、そのようなものが必要になる状況など、本来彼は望んではいなかったのではないでしょうか。


 彼の写経をする姿は、自分のような才のないものは、ひたすら手を動かすしかないのだ、と言わんばかりです。その姿に普照はもしかすると自分の未来を重ね合わせたのではないでしょうか。その不安から逃れるため、自らを苦しめることになるかもしれない夢や希望を彼は捨て、朝廷から与えられた使命を全うすることに決めます。

 夢と使命を秤にかけて、どちらが重要かと考え使命の方を選んだ訳ではないような気がします。朝廷に与えられた使命に失敗することよりも、自分で定めた夢が破れることの方が恐ろしかったのではないでしょうか。だから彼は使命を全うすることにしたのだと、そんな気がしてなりません。
 失意の中に生きる虚しさを、普照は業行の姿から他人事ではないと感じ取ったんだと思います。
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