2012年9月10日月曜日

「孔子」井上靖 (新潮文庫)


あらすじ
孔子没後33年後の魯(孔子の生まれた国)の小さな村で、世に知られざる弟子薑(えんきょう)の口から思想家孔子の人間像が静かに語られる。
「天命」や「仁」といった、乱世に生きた孔子の言葉や教え、生き方、また孔子の高弟達の人物像について、薑(えんきょう)が孔子研究会の者たちに語る内容とは……。

 弟子の薑(えんきょう)とは架空の人物であり、この彼の口を通して作者井上靖の孔子解釈が語られる体裁になっています。その中で特に強調されているのは「乱世」を如何に生きるか、ということです。
 正直に言いますと、よくわからなかったです。作品中で語られる「天命」や「仁」についても、わかったようなわからないような、いやきっとわかっていません。


 とりあえず紀元前の人間のお話なので個人的には今を生きる人間の考え方を通して、果たして当時の人間の考え方を解釈できるものなのか、という疑問が湧いてくるんです。
 例えば「人が二人」と書いて「仁」、そこで相手を思いやる心が生まれれば、それが「仁」だと、ここまではわかりやすくていいのですが、これが人同士ではなく、為政者と一般の民との関係では少し意味合いが違ってくる、と言われるところに来ると、よく分からなくなるんですね。

 そもそも思いやるという「心」は同じであっても、そこから発生する実際の行為は時代や地域、文化などによって左右されると思うんです。
 例えば日本の切腹に付き物の「介錯いたす」なんて行為は、日本以外の国から見たら残酷な行為にしか見えないんではないかな、とかですね。

 全体的な感想としましては、人の力なんて自然の力に比べたら非力でしかないし、そもそも物事というのは「なるようにしかならん」のだから、できること、やるべきことだけしたら、あとは静かに物事の成り行きを見守るしかない、という解釈のようにも私には思えました。
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