2012年5月24日木曜日

「野菊の墓」伊藤左千夫 (新潮文庫)



 みなさんは本を読んで泣いたことってありますか? 私は自分で覚えてるだけで3冊あります。
「ごんぎつね」、「野菊の墓」、「アルジャーノンに花束を」の3冊です。

 たとえ一度は泣けたからといって、すでに読んでしまったものをまた改めて読んでみるって、すごくバカらしいような気もするんですけどね。何となく、泣けるほど感動できる本をまた読んでみたいなぁ、とか思ってしまった訳ですよ。

 あと泣ける話の分析ですね。どういうところに感動して泣けたのか。当時はそんなこと考えもしませんでしたけどね。
 とりあえずブックオフで「野菊の墓」と「アルジャーノンに花束を」の2冊を買い直して来て、再度読み直してみることにしました。


「野菊の墓」伊藤左千夫
 この小説は高校の時に、国語の課題図書で出されて仕方なく読んだものなんですね。当時の私はタイトルくらいは聞き覚えがあったんですけど、内容の方は全く知らなかったんですね。その時の感想文には、どんなこと書いたかなぁ。

 周囲の人の理解のなさだとか、主人公の不甲斐なさを指摘してたような気がします。
「民子が可哀想じゃないかっ!!」みたいな。

 今や私も、酸いも甘いも知ってる大人。しかももうすでに読んで、どんな結末が待っているかも知っている。
「さすがに今回は泣けんかなぁ。まぁ、それでも泣ける話の構成みたいなもん勉強するつもりで読んでみるか」
 気分は、そんな感じ。

 わずか70ページ足らずの小説です。文章も、古臭い言葉遣い満載。そもそも名前が「民子」って。ありえねーしw
 文体一つとっても、とてもじゃないけど流麗なんて言葉はそぐわない。絵で例えるなら、私がクレパスで描いた絵とどっこいどっこいなのでは?

 53ページ付近。あ、民子死んだ。
 61ページ付近。あー。墓だ。野菊がたくさんで野菊の墓だなぁ。
 65ページ……。
 (´;ω;`)ぶわっ。

 見事に涙腺崩壊。しかも家の近所のカフェで。みんな、何事かと見るわ見るわ。いやぁ、やられました。
 小説の内容について、これ以上ここで書くのは憚られるので割愛。書かれた時代背景とか書いていきましょう。

 「野菊の墓」が書かれたのは明治ですよ、明治。年表で調べると、同時代に書かれたものに夏目漱石の「坊ちゃん」があります。
 そこから40年ほど遡ると江戸時代ですよ、江戸時代。明治初期に起きた言文一致体が浸透してきたお陰で、それまで書き物には文語体が使われていたのが口語体が使われるようになり、今でもこうして読めるようになった訳ですね。

 「野菊の墓」の舞台は、関東地方の農村になっています。帝都東京に、ほどなく近いとはいえ農村。テレビもない時代ですし、文化や文明の伝わり方や浸透率も今ほどではないでしょう。
 そう考えると、小説の中で見られるような当時の農村での風習や慣わし、生活習慣・生活様式といったものなどは、ほぼ旧江戸時代末期のままに近いのではないでしょうか。

 それが口語体で書かれることで、逆に現在から遡って江戸時代に近い農村の様相を垣間見ることができる。
 これって、すごくないですか?
 空想や想像で作られた時代劇じゃなくて、リアルな当時の様子が見れてる訳ですから。

 さらに言うと、100年前も今も、人の思うところ、感じるところなんて何も変わらないんだなぁってこと。ということは、その前の100年とか、そのもう一つ前の100年に生きてた人たちも、おそらく今の自分たちと同じようなことを思ったり、感じたりしてたんじゃないのかな。

 日本の文化や文明といった生活のハード面は、どんどん時代に合わせて変化していってると思うのですが、当の人間、日本人自身のソフトの面は全然変わらずに、ずっとそこに立ち尽くしてる。
 そんなことをふと感じてみたりしました。
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